昭和45年6月12日夜

 只今夜の御祈念を仕える前に熊谷さんや原さんあたりのお届けを聞かして頂いておると、もう本当にもう普通でならとても気がつかんだろうと思うような難しい問題の中に、また事柄の中に体の上の事やらにもうそれのおかげでと言うて、その御礼のお届けがありよりますのを聞かせて頂いてね、信心と言うのはもう本当思い気がつかなかった所に、やはり本気で御礼が申し上げる実感としてそこに御礼が出て来ると言う、所謂その今日只今所謂有難いと思わせて頂く事だと、不平不足が出る時には、その喜びが今無い時と思うて間違いないと私はあの美登利会の時その事申した事でございますけど、とに角その時点時点に置いてその有難いと、いつどんな場合でもどんな時でもいやあたしゃ不幸せと、例えば自分で決めこんでおる人でもです本当な事が分かったらお礼を申し上げなならん程のおかげを受けておると言う事なんですよね。
そんな話しを原さん熊谷さんに聞かせて頂きながら、私フットその思ったんですけども、あたしがもし一寸背が高かったら今日のあたくしはなかったろうと言う事です。わたくし共の兵隊検査の時に私が5尺2寸でしたもん、他んとこどっこも悪いとこないですけども、その一寸たらじゃった。ですからね5尺3寸だったらねもう甲種合格だったでしょうしね、もうあたくし共の友達で甲種合格の者は皆な戦死しとりますからね。ほんに気がつかなかった背がこまいとか(笑い)高いとか、深い深い神様の御神意御深慮あっての事なんですからね、もしあたくしが5尺3寸ありましたら、もう今日あたくしはいないとこの世にいないと言う事ですよ。もうそれをにま一寸??思うてんなんてん考えてみると、神様が本当にその訳の分からん人間氏子と言いながらと思うて寂しい悲しい思いしなさる事だろうと思うです。それをわたしく共がひとつひとつ、うなら気がつかせて頂いてです、?こまかった事も有難い、ね、嫁さんがこう言うた事も有難い、今日熊谷さんなんかあの治療に行かれておられてその中から今まで感じとる事の出来なかった神様の働きを感じておりますと言うておられるように、
もう本当にもうお礼を申し上げる気になるじゃないかじゃなくてですね、お礼を申し上げる事ばっかりなんだ実は、うんそこにねその時点時点を大事にして行きよらんとその時点に立った時にです有難いと言う事になってこないと言う事ですね。ですからもう不平不足の影がポット自分の心に動いたらですね、もうすでに自分はそんなおかげを頂いていながらおかげの事をもう忘却しているんだとまあ思わせて頂いて間違いないですね。どうぞ。
井出一憲がうちました。